マタイ2章

 本章では、異邦人の信仰とイスラエル信仰が対比されています。また、主は、エジプトに下り、また、異邦人のガリラヤに住まなければならない、実例を挙げ、イスラエルがメシヤを拒んだことを記しています。

2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」

 イエス様の誕生は、預言どおりにベツレヘムであることが証しされています。その時、生まれた方をユダヤ人の王として尋ねたのは、東の博士たちでした。彼らは、遥か東に住んでいながら、ユダヤ人の王の誕生についての預言を信じ、星の観測をとおして王の到来の時を探っていたのです。その方のおいでの時を正確に示す預言は、ダニエルに啓示されました。さらに、彼らには、星の出現が王の到来を表すものであることを確信させる出来事があったはずです。彼らは、後に夢で警告を受けた時、それに従っています。

2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。

 ヘロデ王とエルサレムの人々は、動揺しました。東の博士たちがその方を求め、礼拝のために来たのとは対照的に、彼らは、その到来を好まなかったのです。神の上に自分を置き、神に背いて歩んでいるものにとって、神の子であるキリストが来られることは不都合です。

 キリストによってもたらされるものの価値を知る者にとっては、東の博士のように犠牲を払ってでも求める価値がある者なのですが、この世のものに価値を見出す人にとっては、それは受け入れ難く不要なものなのです。

2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。

2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。

2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」

 王は、祭司長や律法学者にキリストがどこで生まれるかを尋ねました。彼らは、それがベツレヘムであることを聖書の記述を根拠に答えることができました。

2:7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。

2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。

 王は、キリストの殺害を計画していたのです。王は、キリストが来られたことを信じたのです。信じて、彼にとって不都合であったので殺害を計画したのです。

 彼は、目の前に起こっていることが聖書の預言の成就であることを信じながら、彼の生き方を変えようとはしませんでした。

2:9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。

 その星は、通常の天体とは異なる動きをしています。星として見えましたが、彼らを先導するように動いていますので、御使いの働きです。彼らが東にいたときにも、その星を見たのです。その星は、神からの啓示として示され、彼らは、それを信じたのです。彼らは、示された通りを信じ、キリストを礼拝することを求めました。神は、そのような人たちをキリストの元に導くために働かれたのです。その信仰に応えたのです。

2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

 彼らの喜びは、神が信仰に答え導いてくださったことの喜びであり、キリストに会えることの喜びです。

2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

 博士たちの振る舞いは、心から神の言葉を信じたことの表れです。彼らは、幼子に礼拝しています。その方がキリストであるという確信がなければ、そのようなことはしないのです。

 また、宝の箱を開け、捧げ物をしました。彼らは、東の国にいたときにそれを用意したのです。すでにそのときに信じていたのです。

 捧げ物は、キリストにふさわしいものでした。それが示す比喩がそのことを表しています。黄金は、純金であれば、聖なることを表し、金であるならば義を表します。乳香は、キリストが人としての歩みにおいて神の御心を行うことで現される香りを表しています。没薬は、香りを放ちますが、葬りをも表します。キリストがご自分を捨てることを表しています。それは、神の前に最も尊い香りです。

2:12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。

 博士たちには、警告が与えられ、彼らは、ヘロデのところへ戻ることなく、国に帰りました。それは、幼児を守るためでした。

2:13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」

 そして、ヨセフにも夢でエジプトへ逃げるように指示が与えられました。

2:14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、

2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。

 ヨセフは、すぐに行動を起こし、エジプトに逃れました。そのことも、預言によって示されていたことでした。

 ルカの福音書では、イエス様が生まれてから、きよめの期間を経て、ナザレに帰ったことが記されています。エジプトへ逃れたことは、別の機会と考えられます。

2:16 ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。

 星の出現からこの時まで、子の歳で二歳を上回らない期間です。

2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。

2:18 「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」

 イスラエル女にとって、子を残すことは誇りです。その大切な子が失われた時、彼女たちを励まし、立たすことは難しいことです。彼女たちは、なおも神の報いを望んで生きるように勧める言葉を拒むのです。それほどに悲しみが大きい者であるからです。

 ラマは、エルサレムの北にあり、ベニヤミンの相続地です。彼は、ラケルの子です。ベツレヘムは、エルサレムの南にあり、ラマで殺害が行われたとすれば、非常に広範囲で子らが殺されたことになります。

・「慰め」→神の法廷に立つ証拠を勧められ励まされること。なお、慰めの意味は、一時の悲しみや苦しみを紛らわせることです。

2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。

2:20 「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」

 主の使いがヨセフにイスラエルに帰るように言いました。全ての指示は、幼子の命を守るためです。

2:21 そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。

2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。

 ヨセフは、イスラエルに戻りましたが、ユダヤに行くのを恐れましたし、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退きました。

2:23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。

 彼は、ナザレという町に住みました。ルカの福音書では、イエス様が生まれる前に、すでにナザレに住んでいたことが記されています。マタイの福音書では、その辺りの経緯が記されていませんから、ナザレに行って住んだことだけが記されています。

 この町に住むことは、預言によることでした。預言者たちが預言していたと記されていますが、直接的に「ナザレ」という地名は、旧約聖書に記述がありません。ナザレとヘブル語で「枝」を意味する語が、表記上(子音)似ていることから、枝を意味しているとされます。枝に関しては、預言に多数記されています。

 他の解釈では、ナザレは、さげすまれた町であるので、さげすまれることを預言した内容が該当するとするものもありますが、ナザレとさげすまれることを関連付け、預言の成就とするには、関連性が薄すぎます。